新潟県三条市を流れる五十嵐川(いからし川)の土手沿いに「戊辰(ぼしん)戦役記念碑」があるので見に行ったら不思議な石を発見!この記事では記念碑と謎の石をご紹介します。
新潟県 三条市 田島橋 付近
対岸には「光泉寺」があり全国一の石仏があります!
日本一大きい石仏!子育て大地蔵尊【三条市 田島地区】
院内に祀られている「子育て大地蔵尊」は石仏では全国一の一丈六尺(5m30cm)の大きさ。 石仏 嘉永4年(1851年)、三条市下田の庄屋大竹なる者が彫像したもので大地蔵尊の瑞夢を見た当寺7世絶山喜学和尚が明治17年(1884年)筏を組み、五...
戊辰戦役記念碑
土手道
土手幅がいきなり広くなるのですぐわかります。
立派です。
記念碑の土台が天然の石でしょうか?
記念碑の説明は三条市のHPを引用させていただきます。
北越戊辰戦争 五十嵐川田島・曲渕の戦い 戊辰戦役記念碑
慶応4(1868)年7月29日に長岡城が再落城し、見附・大面を通って敗走する奥羽越列藩同盟軍は、それを追走する新政府軍と新潟港から上陸してきた新政府軍とに挟まれる恐れがあり、三条市街から五十嵐川伝いに会津方面へ退却することになりました。
8月2日には、五十嵐川左岸に新政府軍、右岸には同盟軍が陣を構え戦闘が行われ、多数の戦死が出ました。
月岡・諏訪方面から曲渕に進軍してきた薩摩藩の番兵二番隊には、西郷隆盛の弟、監軍であった吉二郎がいました。吉二郎は、田島側の同盟軍の小銃により腰に被弾し瀕死の傷を受け、その後運ばれた柏崎の野戦病院で36歳の若さで亡くなりました。 戊辰130年の平成10年8月2日に、この地で、新政府軍と同盟軍との激しい戦いで多くの人が死傷し、近代日本の建設がこの人たちの尊い命の犠牲によって始まったことを後世に伝えるため、市民有志により五十嵐川左岸曲渕堤防上に戊辰戦役記念碑が建立されました。
戊辰150年を行く/三条市 (city.sanjo.niigata.jp)
謎の石
記念碑の脇に四角と丸の石が交互に置いてあるのわかりましたでしょうか?
色の違いもあるようです‥‥
石椅子?
まとめ
記念碑にある不思議な石
休憩のための椅子なのか?表面はキレイに研磨されてました。
無いよりはあった方が映えます。
それでは
本当に最後まで読んでいただきありがとうございました。